Don't Touch Me I'm Sick

処方薬、アルコール、咳止めシロップ及び合法ドラッグ依存症のクソみたいな通院履歴。

虐待Case. 1 ネグレクト

実際に体験してきたカウンセリングの記録をやっていこうと思う。

あくまで俺は、カウンセラーではない。そして、報酬もない。

プロじゃない分、プロ以上のことをしてるだろうと思う。

カウンセリングの本なんてものは読んでいない。俺は大多数のカウンセラーに大金を払ってきたがなんの成果も出なかった。だから、そのカウンセラーどもがした逆の行動をしてきた。

愛してる相手が欲しがってるものを必死に探ってきただけだ。話を聞くなんか、どうでもいい。過去の悲しみを俺に訴えても俺はそいつに笑ってやることしか出来ない。もしくは笑い飛ばすことによる発散以外教えることも不可能だ。

堅っ苦しいクソみたいな単語の羅列はもうやめにしよう。これは、要するに、俺の趣味の記録だ。

親に虐待されてた俺のことをケアしてくれたNさん、Cさんにはいくら感謝しても足りない。その人たちに俺ができることは何もない。

だから俺も虐待されてる人を、ケアするのが趣味だ。失敗したことがない。相手が俺から逃げるケースを除いて。

 

俺の元カノは漫画だ。3週間食事なし、なんてこともあったらしい。

元カノのネグレクトに関しては俺は、”お手上げ”だった。

失敗だとは思わない。元カノに対して、”感情を出すこと"だけは、元カノが言う通り、俺が元カノから引き出した。

だから、成功と言えるだろう。

全てのケアをして、その子からまるで虐待の痕跡がなかったかのようにすることは不可能だ。

覆水は盆に帰らない。だから、違う盆を用意し、そこに水を自分で注がせる。俺がしたのはそれだ。それにおいて成功したと言う意味だ。

何故こんなにも成功を意識したいかと言うと、それは俺が、自己弁護しないと、その他全てが失敗に終わってるからだ。いや、失敗どころの話じゃない、失敗しているならそれ以外の全てを試すことが出来たし、その方法論で叶わないと言うことを理解することにより違う解決策に向かうことが出来るからだ。

何が言いたいかって?その、感情ってやつを引き出す以外の何1つ、俺は助けてあげれなかったって話だ。だから俺は成功した。そして、その他すべてに触れられぬまま別れた。

 

元カノはそれまで”感情”がなかった。

喜ばない。

喜ぶと言う行動が起こるのは、自分が喜んでいるテイを装っていれば周りが喜んでくれるから。自分を喜ばせてくれている、と相手が思い込む行動をとった場合、相手は喜んでいなければ不満に感じる。

だからその相手に対して喜んでいるテイを装えばその場でいさかいがなくなる。

よって、喜んでいると言うテイを発動するのだ。心は死んでいる。いや、何も感じていなかった。

俺が何を言っても、何をしても帰ってくるのは笑顔。その笑顔ほど俺が絶望するものはなかった。だから俺はなんとか本気で笑わせてやろうと試みた。

怒らない。

これも同じメカニズムだ。怒っているテイを作ろうとするのだ。唯一彼女が最初から教えるまでもなく持ち合わせていたのは、嫉妬心のみだった。女って不思議だ。嫉妬心だけはどんなに矯正されても治らないらしい。だから俺は、彼女の感情を見るためだけによく、浮気をした。

これがカウンセリングか?単に愛してるだけだ。そう、愛してるから、感情が見たかった。その単純な手段が浮気しかなかった。浮気するたびに俺に怒った。それ以外の全てを許してしまった。最後の最後までそれだけはムカついていたらしい。だから俺はしたくもない浮気をせざるを得なかった。

悲しまない。

悲しむって感情も欠落している。嫌だ、って概念がない。すべてにyesする。目の前に起こるすべてにOKしてしまう。

どうでもいいらしい。嫉妬していても悲しみがないみたいだ。要するに悲しんでいるだけ無駄で、起こったことにどう足掻いても何にもならないと達観しているんだろう。

で、なんだ、楽しむ?か。もう言うのも面倒だ。

 

ネグレクトってのは、家庭の中に子供の存在を消え失せるってことだ。

無視する、なんてものじゃない。存在していない。

小さな頃、子供の中で、社会というのは、家族ルールは小さな政治だし、親の口論は紛争だ。

何故なら子供の中で世界は家の中にしかないのだから。外出は海外旅行に等しいと言える。家の外の世界には家の常識と懸け離れた概念が存在するからだ。例えば公園。そこには他の国家が存在する。

ってわけで、ネグレクト、ってのは世界がないのと同一だ。

自己しかない。

それが育つとどうなるか?必然的に感情を出す必要性が失せる。

自分がこの世界にいないのだ。周りで起こっているすべてが、自分を通さなくなる。

だから、悲しむ、楽しむ、嬉しい、そういうことが存在し得ない。何故なら全て自分が存在していない、と認識するから、怒られてると思えない。単に、目の前の人が自分という対象に腹を立てている、という認識でしかなくなる。だが、自分の存在はこの世界にない。

だから、この世界に存在しない自分に対して何故そこまで怒れるのか理解出来ない。

で、結果謝る、に行き着く。そうすればその人は満足する。

謝る、って行動は、心を込めようが込めまいが相手を満足させてしまう。

またそこで相手が、自分のご、め、ん、の三文字で全てを終わらせてしまった、そこには自分の感情が無いのに。

ってわけで、また自分の存在を疑い始めるわけだ。そしてだんだん人に合わせて業務をこなすロボットに変貌する。

俺は感情を持たせるために怒らせ続けた。イラつかせ続けた。

何をしてもイラつかないから大変だった。ここには書けないが、常軌を逸したひどい言葉や、ひどいことをした。

だがそれでも一向に俺に何も訴えてこなかった。

最終的に、浮気、それもラブホに行って徹底的に最後までやって、ようやく俺にムカついて、別れるって選択を自分の手で選んだ。

俺は嬉しかった。別れたのに。自分のしてきたことが間違いでなかったと思えた。

2年半で唯一のわがままは、それだけだった。

もしかしたら俺が気付けてなかっただけで、中にはあったかもしれない。自己主張ってやつが。

水族館に行きたかったらしい。

俺はそれを金銭的に叶えられなかった。

元カノは働いていなかったからだ。

それを叶えてれば、と後悔している。もしかしたらはしゃいでいたかもしれない。元カノがはしゃぐところを見たことがない。屋台のポテトを買ってあげた、それは少し喜んでたっけな。

 

この元カノのネグレクトの例は1つの例でしかない。俺の友達にもうひとりネグレクトを受けている人間がいる。そのMってやつについても後日書くつもりだ。

うまく書けているかは分からない。俺だって、俺の行動の真理や元カノの感情について何もかも細胞レベルまで理解出来てないんだから。

折り合いをつけるために分析するしかない。だから3000時近くに及んで、試みてみた。

次回のケースは、言語が存在しないネグレクトについて書こうと思う。それから、3つ目が、過保護による虐待について。

最後は暴力について書きたいところだが、これに関しては俺が受けていたもので、自己分析出来るほど俺は頭が良くないし、もう、許してしまってる。

俺は過去の暴力をなんとも思っていない。この思わないようにする、は元カノに学んだことだ。

俺は感情を与え、元カノは俺に無感情を与えた。

俺は今でも、無駄でない、いい2年半の交際だったと思いたい。

というわけで次回もお楽しみに。