Don't Touch Me I'm Sick

処方薬、アルコール、咳止めシロップ及び合法ドラッグ依存症のクソみたいな通院履歴。

21年間

3歳から俺は、母親と父親を恨み続けて生きてきた。

愛がない”様に”感じていた。

実際は酷く愛されていた。そう。酷く。酷く下手クソな愛だった。俺にはとてもじゃないがそんな愛は難解すぎて分からなかった。

離婚するまでの家の中のえげつない雰囲気は耐え難かった。3歳でもうかなり漠然と自殺について考え始めていた。

俺にとって、生きる意味とは、つい最近母親と半年ぶりに会い、会話するまで、もっと言うなら3歳の頃から隠し続けてた本音が言えるまでは、自殺だった。

裏を返せばそれは、いつか何かに折り合いをつけて結婚して子供を産み、自分の子供には俺と同じ気持ちを味合わせないことを目標にしていた。

でも俺は、その目標を殺すほどの圧力の死、に中学から頭がグラグラしだした。

いつの間にかそんな目標は忘れ、死ぬために生きていた。

 

母親や父親への恨みの中には感謝や愛も含まれていて、だからこそ自分の中で折り合いをつけるのが難しかった。

だから、母親と父親に愛されるコトは諦めて、母親代わりの女性を風俗や、恋人に求める様になった。

でも、いっつも、恋人に言われる母親と似た言葉や、母親に言われたかった言葉、風俗での優しさは俺を悩ませた。

「そうじゃない。俺は母親に言われたい。」

そんなことは分かってた。

頑張ってるね、大丈夫?、ごめんね、ありがとう。

この四つの言葉を母親から俺は、聞いたことがなかった。

誰にどれだけ言われても自分を認められず、頑張りすぎ、大丈夫じゃなくなり、謝らせる様に女を仕向け、ありがとうと言われるために無理しすぎていた。

今やっと、晴れて自由になった。

母親と話した。

元カノと復縁した。

生きる方向へ、ようやく向かえる様になった。

 

今の俺はもう一つの目標へと生きていける。

もうデート終わりに泣いたりうんざりしたりすることもない。

でも慣れなくて不安定でどうしようもないけど、薬は完全に規定量で、安定剤しか飲んでないし、酒からも縁が切れた。たまーに友達と遊ぶときに飲むぐらいだ。酔っ払わない程度で。多くても月に1回も飲んでないだろう。

 

さてどうやって生きようか。笑顔で途方に暮れている。でも途方は見渡せるし、暮れた陽は明日また登る。そして明日は必ず来る。言わずもがな。